電子工作と何が違う?
つくったあとに違いがあります。電子工作でつくる物は、たいてい次のプロセスのためにあります。動けば役目が終わって、捨ててもいい。
こちらは、その物を使い続けるために作っています。だから完成が来ません。壊れたら直して、また使う。その繰り返しを楽しみます。
Maker文化とは違うのか
つくることが目的だと、できあがった時点で一区切りつきます。どんなに面白がられても、翌年には忘れられている。自分もずっとそうやってつくり続けてきました。
使ってほしい気持ちはあります。ただ、数を増やすより、手作業で作った一台一台を誰かが使っているほうがいい。
プリント基板にして量産すればいいのでは
基板にすると品質が安定しますし、作るのも速くなります。ただ、壊れたときに直す相手が、部品ではなく基板になります。表面実装だと、どこが繋がっているかも見えなくなる。
開発ではなく制作をしているつもりでいます。一台を長く使うために作っているので、今はそちらを取っていません。
家電と何が違うのか
家電は、触れる面と中身で担当が分かれています。表面はきれいに作られ、回路は箱の中に入る。開けるためのネジは底面にあって、たいてい保証のシールが貼ってあります。
こちらは、半田の跡が見えます。線の通り道も見えます。隠していないのは、直すときにそこへ手が届く必要があるからです。組紐は配線を覆っていますが、太さも曲がり具合も中にある線が決めています。覆ってはいますが、隠してはいません。
工芸を名乗るのはおこがましくないですか
おこがましいと思います。まだ名乗れていないというのが正直なところです。
十年後に誰かがこれを直していたら、そうだったと言えると思います。
なぜ半田づけは工芸にならなかったのか
技術の問題というより、何を良しとしてきたかだと思います。半田づけは、上手いほど目立たなくなる技術です。艶があって、なだらかで、見えない。手の跡が残らないほうが良い、とされてきました。
もうひとつ、電子部品が米粒より小さくなりました。手で扱える大きさではないので、今はほとんど機械が付けています。
なぜ電子工作が工芸になりうると思ったのか
電子部品は飾れません。飾る場所がない。残るのは、流す電流が線の太さを決める、引っ張られる力がケーブルの通り道を決める、その種類の理由だけです。
どこを直したか覚えているので、次に壊れそうなところも分かります。使いながら、その物のことが分かっていく。
ただ、必然があるだけでは足りません。効率だけで決まった形は、隠れるところへ行きます。持つこと、触ること、身につけること。それらから決まった形は、見える場所に出てきます。
電気にもそれができるはずだと思っています。
なぜ工芸の技法を取り入れるのか
電子工作のままだと、ギークな見た目で終わってしまう。工芸の技法を使えば、そこが変わる。それはその通りです。
ただ、見栄えのためだけなら、工芸の技法を選ぶ理由がありません。組紐を選んだのは、断線しにくいからです。金彩を選んだのは、導体でありながら装飾だからです。
構造から決めていくと、見た目もついてきます。理由があってその形になったものが、そのまま見て良いものになる。工芸がずっとやってきたのは、たぶんそういうことです。
直せることの何がいいのか
壊れる場所は、たいていよく使う場所です。直すと、その物のなかでいちばん新しい部分が、いちばん使われた場所になる。